就農して1年目。 畑で一人、にんにくと向き合い作業をしていると、近所の方が声をかけてくれた。
「おじいさんのにんにくもってるよ」
その言葉に 「是非ともゆずってください!!」じいちゃんが亡くなってから10年が経とうとしていた、まさか、じいちゃんのにんにくがあるとは思いもしなかった。
2年目の夏。にんにく収穫後。にんにくを譲って頂いた。
後日、にんにくの代金を手に、譲って頂いた方のところに行くと
「昔、おじいさんに、にんにくを植えてみたいと言ったら、20キロのにんにくをただで譲ってくれたんだ。
祐貴くんが東京から帰ってきて、にんにくをやっているのを知って、にんにくを返してあげないといけないなぁ。。って思っていたんだ。だから、その代金は受け取れないよ。」
その言葉に涙がこみ上げてきた。
にんにくの作業小屋のガラス戸には、じいちゃんの手書きで。
平成何年、誰々さん、何キロ、種にんにく。というふうに、チョークで書いてあった。
母に聞くと、種にんにく欲しい人には売っていたそうだ。
では、なぜ譲ってくれた人からはにんにくの代金を受け取らなかったのか?
じいちゃんは
わかっていたんだ。
孫の祐貴が
にんにく農家になるって。
もう一つ。
じいちゃんは自分自身は永く生きられないことを。
どうしたら、孫に教えてあげられるのか?そう考えていたかどうかは今となっては聞けないが。就農して間もない頃に日記を見つけた。
ノートは小さいころに使っていた、勉強用のノートだ。
最初に計算や漢字、英単語が書いてあった。
途中からは じいちゃんの字で、日にち、天気、作業内容、そして、トラクターの耕す時の、ギヤ、回転数までもが書いてあった。
昭和から平成まで、何冊も。 それはまさに、教科書。そして宝物。
畑で作業していると、必ずと言っていいほど、どこからか2羽のカラスがやってきて、木に止まりこちらを見ている。
ときには、すぐ後ろ4〜5メートルのところまで降りてくることもある。
そのカラスを見ると、じいちゃんとばあちゃんが様子を見に来ている気がする。
「どうやるのか教えてくれ〜」 と言っても、カァ〜とも鳴かずに、こちらを見て。
今、想うこと。
農家になる道筋を小さな頃からつけてくれていた。 休日の遊ぶ場所は、畑、作業小屋。土まみれになり遊びながらも、作業する姿を見せていてくれたんだ。
自分の手の元に、にんにくが来るようにしてくれた。